高架下

すずろに書くよ

syamu学 入門

こんにちは、1のやです。今回はかなりおふざけが足りてる記事になります。syamuさんに関する一連の騒動がひと段落ついて2019年3月現在この記事を書くに至りました。炎上騒動に対して個人的な意見を述べるわけではないので気楽に読んでもらえればと思います。

 

復活したsyamuが酷評された理由について

2018年にsyamuが復活し、4年越しに動画を出したが、待ちわびたファンから下された評価は極めて低かった。そこには二つの大きな理由がある。

一つは「syamuらしさの喪失」である。これは明らかなものであり、動画に寄せられたコメントにも「syamuらしくない」「望んでいたものではない」といったものが多くあったことからも分かる。ではsyamuらしさとはなにか。それは彼が過去の動画で明言していた「YouTubeでまず自分がなにをしたいか」ということである。私を含めオフ会0人からsyamuを知った人間は、彼はその信念の下で活動しているという前提を持っており、その前提が”syamuの動画はこういうものである”というバイアスをかけてしまっている。それがsyamuらしさの本質であり、彼の奔放な言動や視聴者の予想を超える編集にはその本質が見え隠れしている。そして4年の時を経て視聴者の需要はそこへと移っていったが、そのことが対馬編集や冗長なトークを求めさせた。しかし、実際にアップされたものは需要とかけ離れていた。のびのびと自己流でカラオケをする姿はそこにはなく、他人を気にして妙に緊張して歌い、採点にケチをつけて自分を貫くのではなく、己の歌唱力の無さに逆ギレするという今までに見せたことのないギャグを短時間に詰め込んだ動画であった。独特ではあれどユニークでは無かったと言える。一般的に考えれば動画自体の質は多少は上がっており、一見すると視聴しやすくなったように思えるが、syamuらしさを失った歌ってみた動画ではただ歌が下手な人のカラオケを見ているのと同等である。これでは荒れるのも無理はない。面白くないのが面白いというsyamu動画の性質をも図らずも失ってしまったことになる。繰り返すが、視聴者が彼に求めていたものは、何が言いたいのかはっきりせず要点を抑えきれていないトークという表面的なことだけではなく、その根底に横たわってる「syamu自身がYouTubeでしたいこと」を彼がそのまま体現している姿である。

二つ目の要因は安心感の消失、それも全貌が見えているという安心感を失ってしまったことだ。現代社会では特に顕著だが、我々人間は見えている事物に対しては安心し、見えないものには不安や恐怖、あるいは嫌悪を覚える。これは YouTuberが顔出しすることのメリットのひとつで、主の顔という情報を提供することで視聴者に安心感を与えることができる。ではsyamuを見てみよう。彼は顔出しどころではない。本名も住所も家族構成も自宅の内装もスカイプもすべて公開している。もはや顔出しではなく全出しである。そこにあるのは圧倒的な安心感であり、視聴者は彼の素性について考える余地もない。「ホントはどんな性格なんだろう?」という一般的なYouTuberや芸能人に対する疑問でさえ介入し得ない。結果として動画を気楽に見られることの極致に達したわけである。蛇足だが彼のトークで眠くなるのはまとまらない冗長な語り口以外にもこの安心感や気楽さも原因としてあげれるかもしれない(あとBGMが眠くなる)。対して復活したsyamuは全くの闇の中にあった。本人確認から始まり、代理人事件、特に代理人に関しては前述したsyamuらしさの喪失と結び付けられて炎上の最たる的となった。その後日大シャムサークル等が絡み、事態は複雑化しながらも、我々には十分な情報が入ってこなかった。報告ツイート一つとっても本人が呟いているのか代理人が呟いているのか不明であり、動画での報告も例のごとく緊張して言わされている感のせいで情報の信ぴょう性が皆無であった。私達はもはや彼の動画を気楽に見、安心して楽しめなくなってしまった。やはり何もわからないことは私達を不安にさせた。彼の動画の性質は、見入るようなものではなく、寧ろなんとなく背景に流れているような、平日朝のTVのようなものだと感じていた。そこに不安は介在すべきでないことは自明だろう。

以上の二つが荒れた主な原因だろうと考えた。

 

おわりに

ざっくりではありますが今回はここらへんで終わろうかと思います。要点の説明のために長々書いてしまったことをお詫びすると同時にこんな記事を最後まで読んでくれたことにただただ感謝です(^_^)

syamuさんもゲーム実況を投稿し始めたり、映画紹介を投稿したりと徐々に本格的に活動しだしていて私自身とても楽しみにしています。彼には今後も自分のやりたいことをやって穏やかに過ごしていけることを切に願います。 2019.3.16