高架下

すずろに書くよ

筑紫丘高校に入学してしまった話ー古き悪しき伝統

今回は私が入学してしまった福岡県立筑紫丘高校の現状について話したいと思います。多くの人に知ってもらいたい内容です。尚、記すのは2014年頃の話ですが、現状は2020年現在も変わっていないようです。筑紫丘高校のリンクはこちら。

chikushigaoka.fku.ed.jp

筑紫丘高校とは

福岡県立筑紫丘高校は福岡市に存在する公立高校であり、私の母校でもあります。地元では有名な進学校として認知されていました。学区の中で最も偏差値が高いという理由で、ここを志望する学生も多くいます。

入学して明かされた惨状

私がこの高校に入学して後悔した理由は次のひとつに尽きます。

 

「応援団」です。

 

この集団のせいで一時は真剣に転校も考えていました。

彼らは対面式という保護者観覧のない式典においてはじめて現れました。当高校の主に2年生と3年生により構成されており、檀上に突如入場してきた応援団員たち、そして耳障りなほど足を踏み鳴らして登場した応援団長と思しき人物が聞き取ることのできない怒号をあげ始めます。すると2,3年生たちがおもむろに一斉に立ち上がります。訳の分からない私達新入生は団長にいきなり怒鳴られました。どうやら先ほどの叫び声は「全員立て!」と言ったらしく(絶対に聞き取れない)、立たなかった新入生たちに怒髪天のようでした(もちろん新入生はひとりも立っていない)。そして校歌斉唱が始まりましたが、入学したての新入生は校歌などもちろん覚えていません。団長はまたまたこれに憤怒したようで、再び私たちに怒号を浴びせます。

呆気にとられたこの式典の数日後から3日にわたって「校歌指導」という悪しき行事が行われます。重要なのはこのことを新入生は全く知らされていなかったということです。

校歌指導という悪しき伝統

すべての授業が終わり、ホームルームも終了すると、長ランに身を包んだ応援団員が教室にやってきて例のごとく叫びます。怒号に従うがまま1年生全員がひとつの教室に集められ、40分か50分ほどの校歌指導が始まりました。曲がるときには「直角に曲がれ!」と怒鳴られ(直角に曲がっても言われる)、移動中前の人と間が空くと、間をあけるなと怒鳴られ、前の人との間をつめようとしたり間をあけないように走ると、「走るな!」と怒鳴られます。そしてあまり広くない部屋に学年440人がぎゅうぎゅうにつめられます。そこから校歌と応援歌を40分間叫ばされます。(この高校は校歌も応援歌も常に叫び、叫んでいる間は拍に合わせて常に腰を反らす。)このとき団員が巡回しており、歌詞を覚えていないと胸ぐらを掴まれて目の前で怒号を浴びせられます。腰の反りが甘いと無理やり腰を限界まで反らされます(当然怒鳴られる)。生徒たちは汗だくで教室の換気も悪く蒸窯のような状態です。意識朦朧、疲労困憊で倒れる人も少なくありませんでした。また、倒れずとも喉と腰をかなり痛めます。筆舌に尽くしがたいこの地獄絵図を映像や写真で伝えたいのですが、残念ながら見つけられませんでした。(見つからなかった理由は後述)

これを3日繰り返しました。その間教師はただ見ていただけです。

 

体育祭の手拍子でも同様の指導がありました。肩と腕が非常にキツく、のどと腰は痛めます。

その後も応援団は始業式や終業式、全校集会の度に現れ、怒号をあげて校歌や応援歌を叫ばせて退場していきます。

何が問題か

この旧態依然の辟易すべき根性指導は非人道的なものであるにも関わらずなぜ未だに続いているのか、これについて私は在校中に教師に聞いたことがありました。返ってきた答えは「伝統だから」という最も理解に苦しむものでした。毎年何人もの新入生の体調を崩し、健やかな精神を壊している存在がなんの疑問も持たれずに存続しているのでしょうか。私のようにおかしいと感じた生徒は多かったはずです。何人もの生徒たちが質問してきたことでしょう。しかしこの古き悪しき伝統が改善される気配はありませんでした。その理由は校歌指導の映像が見つけられなかったことと新入生が応援団を知らなかったことにもつながります。この応援団とそれに付随する諸々は外部へと知らされていないのです。これが一番の問題だと感じます。

応援団は入学式や卒業式などの保護者含む外部の人間がいる場面では現れません(例外として体育祭のときは演者として登場する)。【修正:入学式の校歌斉唱は応援団によるものでした。ただ入学式では怒鳴られなかったと記憶しています。(修正日2020/09/02)】また、彼らに関して不文律のような空気感があり、私が卒業式の日に保護者のいる教室でのあいさつで応援団について言及した際、教師の表情があからさまに曇っていたことはよく覚えています。

外部に徹底して情報を出していないことがなによりの問題です。もし私がこの高校に入学する前に彼らや校歌指導、体育祭のことを知っていたら別の高校へ行くという選択もあったことでしょう。知っていればこんな高校には来なかったと思った新入生は私以外にもきっといたでしょう。そのような人をひとりでも減らすべく、私はこの記事を書きました。

まとめ

本心を言えば在校中に応援団に付随する悪しき伝統を消し去りたかったです。そのために大々的に行動するには高校生はあまりに忙しく、あまりに非力でした。今でもこのような悪しき行事や伝統は見直されることが一番だと思っています。しかし、この事実が外部に広く知らされていないという、より重大な問題に一石を投じるためにこの記事を書き、私と同じような情報不足による選択ミスを犯した人を減らしたいと考えます。偏差値や知名度だけでこの高校に行こうとしている福岡市の賢い学生たちと、社会を変えられる我々大人にはぜひこの事実を知ってほしく、広めてほしいと思っています。

会話と対話と言語のお話

こんにちは、1のやです。今回は会話と対話についてのお話です。言語に対してちょっと変わった見方から、なぜtwitter等では会話が成立しにくいのかについて考えていきます。長くなりそうなので以下、常体を用いていきます。

会話と対話について

まず前提として、この場における会話と対話の定義をしておこうと思う。会話とは言語を介したやりとりそのものを指す。一方対話は、単に意思疎通を意味することとする。コミュニケーションと訳してもいいかもしれない。ここで意識しておきたいのは対話には言語的な要素がなくてもよい、ということだ。そしてこのように定義した場合、「会話がなりたたない」ことの多くは「対話が成り立たない」である。

対話に関して掘り下げる

対話の歴史は深い。対話が単なるコミュニケーションそれ自体をさすのであれば、人間に限らず多くの生物が行うため、その歴史は数千万年にも上るのではないかと思う。言語を介さない意思疎通は実は日常にありふれている。いくつか例を挙げてみよう。ボードゲームや対戦ゲームをしていると想像してほしい。あなたは対戦相手がなにを考えているか、どう考えているか、なにをしようとしているのかを常に考え続ける。そして、自分の行動が相手に影響を与え、それによって相手がどう考えたのか、また、どう考えるのか、どう動くのかを考える。これは対戦相手も同様に自分のことを考えている。俗に読みや、読み合いと表現されるこの行為は相互が相互の思考や行動を必死に理解し合おうとしているというまさに対話である。この場合、ルール上の縛りやリスクリターン、マストカウンター等の要因により一定の判断基準が設けられる。

より日常的な例もある。歩道を歩いているとき、道の向こうからこちらにやってくる人がいた、と仮定する。このときお互いに避けようとして結局鉢合わせて足がとまってしまった。これは多くの人に経験があるのではないだろうか。このとき、言葉こそ一言たりとも発していないが、相手のことをよく観察して相手の心理を考えている。衝突を避ける、という単純な共通の目標を見ず知らずの他人と言外に共有し、相手が避ける素振りをしているか否か、またはどちらに避けようとしているのかということを考え、自分と相手がぶつからないようにしている。これこそ根源的な意思疎通であり、対話である。一つ目の例は、自分が勝利するという目標をお互いが持っており、対話こそしようとすれど、その結果は相手を負かすための行動をとる、相手の嫌がる行動をとる、となっている。二つ目の例はお互いに共通の目標を持っており、それを実現するために相手のことを深く考え、衝突をさけるように行動する。このどちらも対話であるが、日常生活においてよく出会う場面は後者のほうだろう。ここでTwitter等でのリプライで攻撃してくる人間と会話が成り立たない理由の一つを見出せる。一般多くの人は上の例のように衝突を避けようと対話しようとしている。相手に自分の意見を4割でいいからわかってほしいなど、緩い期待で対話に臨む。一方、攻撃してくるものは衝突をさけるために対話するのではない。むしろ一つ目の例のように相手を打ち負かすためにリプライをしてくる。いや、そもそも対話しようとはしていないのである。一つ目の例では、二人は相反する目標をもってはいるものの、目標が相反するという認識は共有している。それによって対話が成り立っていると言ってもよい。しかしSNSで攻撃してくる者と攻撃される者の構図は一方が衝突を避けるための対話を望んでいるのに対し、もう片方は打ち負かすために対話を拒否している。歩道の向こうから歩いてきた赤の他人が、わざわざ予め自分が避けた方にぶつかりにくるようなものである。結果ぶつかったからといって攻撃された側が嘆き悲しむ必要はまるでない。こちらは対向者がぶつかりにくるなんて考えていないのだから避けられなくても仕方がないからだ。

それでもぶつかりたくないという人はどうすればよいか。最も簡単なことは人通りの少ない道を通ることだ。ここでの人通りとはいうなれば界隈の大きさである。界隈が大きく、人通りの多い道を歩いていれば他人と衝突しそうになることも、攻撃してくる人間に遭遇する可能性も高くなる。他にも、小学校の近くを歩かない、法定速度を守る等々対処法はあるのだが......。

本題に戻って次に会話について考えよう。

会話に関して掘り下げる

一方で会話の歴史は浅い。かつて人間が対話するにあたって補助的に発明したものが会話である。つまり、会話とは対話という目的を果たすためのひとつのツールでしかなかった。ある日、人間が言語を開発して以来、その利便性は急速に発展していき、ツールとしての役割を超えて使われ始めた。文字が誕生してからは、その情報伝達の正確さたるや距離や時間に縛られることなく、遠くの未来人にまで自分の思考を正確に伝えることさえ可能であった。そして文字は簡易な線や点の集合に意味をつけるという画期的な枠組みを形成することで、絵を用いた伝達等に要していた時間を大幅に短縮することに成功するとともに、それら従来のツールを衰退させることになった。かくして、言語と文字は対話への唯一のツールという立場を獲得し、もはや人は言語のみが対話を成り立たせるものであると信じて疑わなくなり、ついには言語のやりとりそのものが対話であると考えるようになってしまった。

だが上に述べたように言語は対話へのツールにすぎない。そしてツールというからには当然その欠点もある。言語の欠点は会話を行う「両者に」同等の高度な知識が求められるという点だ。例えば、日本人と外国人とでは十分に会話できないことは想像できるだろうが、これはよく使う言語が異なるからという単純な理由による。日本人同士で会話が成立しない理由も実は同じ次元の話だ。会話に参加している人間の間にある知識の差は同じ言語を使っている程度では埋められないものだ。住んでいる地域や環境による常識の差はもちろんあるが、それを理解するのにも知識、特に語彙が必要なのである。言語が登場して以来、人間は言葉を用いてしか世界を理解できなくなった、というのはしばしば聞く話だが、世界に対する理解が貧弱であることはすなわちこの世界で通用している論理も理解できないということになる。会話を成立させるのに必要な論理的思考力はその前提として知識が不可欠なのである。例えば、「他人」という概念が存在しない人がいたとしよう。彼にはもちろんその対立概念である「自己」も存在しない。そのような人物と会話が成り立たないであろうことは容易に想像できるはずだ。少なくともこの記事が言わんとすることは理解できないだろう。

会話が成り立たないことに寛容になる

これはやや大げさな見出しである。しかし、これ以外の解決は自力では厳しいだろう。前述したように会話は対話へのツールでありながら、その利便性から唯一のツールになった。そのことに対して正しい認識がある者は少ない。この認識のずれが大きいだけでなく、言語を用いる会話には相当な知識をも要する。この知識(それに基づく認識)の齟齬が我々をいら立たせている。単純に言葉を投げ合っている双方で見ている世界が異なるのだ。そしてこれを原因とするすれ違いは、より世界を広く認識できている者が認めるほか解決はない。知識が乏しく、認識もずれているような相手に対して、これを1から説明して納得させることは至難の業だろう。私にはそれができる人間が存在することさえ想像できない。(これは私の世界の狭さゆえかもしれないが)

やはり、相手の能力、知識、認識を認めるしかあるまい。本来面と向かって話し合い、その場の雰囲気、話し方、表情、抑揚、コンテクスト等々、様々な因子があって初めて対話は成立するものである。それなのに、その道具のひとつにすぎない言語のみに頼って、さらにはTwitterではその言語すらも文字数によって縛ったうえで対話しようとしているのである。不特定多数に発信する場合には相手の状況、状態さえも多種多様で知り得ないというおまけがつく。この条件下で対話が成り立たないことは自明だろう。もはやこのような条件下では対話も、あるいは会話すらも成立しないと観念するしかない。そのために最低限必要な考えは、「相手に期待しないこと」、これに尽きる。相手に期待していなければ、すれ違うことはこの条件下において当然のものとして受け入れられるであろう。決して、相手を言い負かそう、自分の主張を認めさせようとしてはいけない。より広い認識を持つ者は、そのような人間もいることを、制限された言語だけでは意思疎通はできないことを、知って認めなければならない。相手に自分の知っている世界の事実それ自体を、飾りなく伝えてその話はそれで終わらせる。ただそれだけでよいのだ。

 

ずいぶんと長くなったうえに月並みな結論になってしまい申し訳ないが、大切なのはその過程の対話と会話と言語に関する部分である。このような考え方も存在するということが、ここまで読んでくれた方々の認識と世界を少しでも広げることに成功したのなら幸いです。ここまで読んでいただきありがとうございました。普段は大物Youtuberの話とかしてます。ではまた別のお話で。

ゾット帝国あらすじ&感想その5

前回はこちら

第6話「川に流されて」の感想です。前話がかなり理解を超えた内容だっただけに今回は控えめです。指示語がないのも気にならなくなってきました。本編はこちらhttps://ncode.syosetu.com/n1830fe/7/

「川に流されて」あらすじと感想

上空から落下するカイトと気を失ったミサのふたり。カイトの首飾りのクリスタルが青白い光を放って謎の力がはたらき、なんとか大きな川に着水します。しかし窮地はまだまだ続きます。気を失ってうつぶせのまま流されてしまったミサになんとか追いついたカイトは、川の真ん中にある岩場で彼女の容態を窺おうと彼女の胸に耳をあてるも鼓動が聞こえません。絶望した彼は蘇生を試みます。魔法も便利グッズも持たない彼の蘇生法は人工呼吸です。

いや、心臓止まってるなら人工呼吸よりさきに心臓マッサージですよ、カイトくん。人工呼吸は気休め程度の効果しかないと言われることもありますから。ただどうやら不安定な足場のため心臓マッサージはできなかったらしいです。

人工呼吸のとき三秒濃厚なキスをして照れるシーンがくるんですが、人工呼吸はべつにディープキスしてるわけじゃないんですけど。さらにカイト君の性欲は止まりません。

 

 

ミサのフレアスカートから覗く生足を見て、オレは思わず生唾を飲み込み喉を鳴らす。

 興奮して鼻血が出そうになり、慌てて鼻を押さえてミサから視線を逸らし、気まずくなって人差指で頬を掻く。

 人差指で頬を掻きながら、横目で瞬きして、視線を戻しつつミサを見てしまう。

 

 

原文ママ引用してきました。幼馴染の心臓が止まってるシーンなんですが、如何せん主人公が脳内ピンク色の11歳男子なのでこんなことになってしまってます。しかしここの描写妙にリアルですね。鼻血が出そう以外の描写が11の少年のものとは思えません。幼馴染を見て生唾を飲んで喉をならすなんて将来有望です。このシーンで正直主人公に感情移入は無理でしょう。その後ミサの腰にあるフックショットを使って陸に上がろうとするも失敗して川に流されるところでこの話は終わりです。

まとめ

展開上意味不明な部分はあまりなかった今回。そのぶんキャラの心情変化でぶっとばしてきました。上のリンクから本編を読めばここで省略した主人公の(というか作者の)性癖が垣間見えますよ。では今日は短めでおわります。

ゾット帝国あらすじ&感想その4

前回はこちら

4話5話の感想とあらすじを書きます。今まで1記事1話のペースだったんですが、この4話と5話はかなりの問題児だったので一気に書こうと思いました。ここまで順調にきていただけに非常に衝撃を受けました。もし本編に行くなら、第4話「絶体絶命」のリンクはこちらhttps://ncode.syosetu.com/n1830fe/5/

覚悟して読んでください。

4話「絶体絶命」のあらすじと感想

魔物の攻撃によりカイトのシャボン玉にヒビが入ります。原文ではヒビは罅と漢字で書かれていました、読める人多くないと思うんですが。一方ネロのシャボンは攻撃を吸収しているようで、カイトはこの魔法の発動者ミサに問い詰めます。ミサはカイトの幼馴染ではあるもののネロにぞっこんで、カイトには見向きもしなかったので、自分のシャボンを手加減して作ったのではないか、と怒るカイト。それに対しミサは冗談めかして彼に十字を切ってお別れを言います。ネロは二人の事は気にせず発明品で敵の情報を探っています。自分のシャボンにヒビが入るのを目の前にしながらカイトはミサが本当に自分のバリアだけ手加減したのか悶々とします。手加減するはずはないと言い聞かせつつも現実としてはミサとネロのバリアと異なりどんどんもろくなる自分のシャボンを見るカイト。そこにメタリックな二羽の大鷲が現れ、口から放たれるガトリングガンとミサイルによってついに彼のシャボンは割れて彼は空中へ放り出されてしまう、というところで4話は終わります。あらすじとして要約するとそうでもないのですが、ミサの行動、カイトの心情の移り変わりがちぐはぐで理解するのに10分はかかりました。しかも「おそらく要約するならこう」という段階を出ておらず未だに完全には分かっていません。読んでも読んでもたった数行が全く分からない宇宙のような文でした。そして5話で私の理解力は絶望の底に叩き落とされます。

第5話「カイトとミサ」のあらすじと感想

空中に放られ、ついにはミサとネロが見えなくなったカイトはすべてを諦めて涙が滲んでまぶたを閉じます。ではその次の文を見てみましょう。

 

 

「こらあああああ! カイトおおおおお! なに諦めてんのよっ! あたしがカイトを助けるんだから! 幼馴染を見捨てたりしないわよ! 今行くから待ってなさいっ!」

ミサの怒声が天から聞こえる。

 

 変だな。これは夢か?

 いや、オレはまだ死んでない。

 気のせいじゃない。ミサの声が聞こえる。

 オレはゆっくりと瞼を開ける。

 

 オレの視界に、ミサがホバーボードの後ろの二本マフラーから激しく火を噴きながら、ホバーボードのエンジン全開でオレを追いかける姿が映る。

 ミサの姿を見て、オレは鼻を鳴らし喉の奥で笑う。ミサに見捨てられたかと思ったぜ。

 

 

原文まんま引用しました。

は?

どうやらミサがカイトを助けにきたようですが意味が分かりません。地面に落ちるギリギリのところで助けにくるくらいならもっと早い段階でシャボン玉の耐久力を上げておけばよかったのではないでしょうか。ミサに見捨てられたかと思ったぜ。って、いや見捨てられてたんじゃないですかね、でも助けに来たし見捨てられてはいないのか、、、ミサの行動が意味不明すぎてここで私の脳はバーストしました。

ここで少し考察します。この行動のアホさ加減は11歳の幼さから生まれたものだと理由付けすることはできません。幼さによる思慮の浅さとはこういった類のものではないからです。幼さに理由を見出すならば、カイトに問い詰められた段階でシャボンを強化するか、落下しても助けに行くという選択はしないか、ということになるだろうと考えます。シャボンに入ったヒビがシャボンを割る程の危険なものかどうかくらいは発動者である彼女は当然知っているはずなのに、強化やサポートをしなかったということは、あの時点では確かに彼女はカイトのシャボンだけ手加減しており、それで彼がどうなろうと良いと本当に思っていた。これは確定的でしょう。しかし、カイトが落下してからしばらくしてから助けに来た。彼女曰く、幼馴染を見捨てるわけはないとのこと。これはもちろんカイトに向けて言ったことですが、ここでの幼馴染とはカイトだけでなくネロのことも指しているのではないでしょうか。4話の最後に大鷲が現れたとき、ネロはミサにカイトをなんとかしろと怒号を浴びせます。彼女がカイトを助けにわざわざ急降下してきたのは結局はネロのこの一言があったからです。おそらく、割れるとは思っていなかったというのが最初に想定される理由ですが、一撃で割れたのならともかく、徐々にヒビがはいって最終的に割れたのですから、これは否定されてしかるべきです。結局、これで彼女は「とんでもない間抜け」もしくは「好きな人の言うことだけは聞くが本性は幼馴染すら見捨てる冷徹なやつ」のどちらかになってしまったのです。個人的には後者推しですが。

その直後ミサの上から来る大鷲はカイトが倒さなければならなくなります。ミサはカイトを助けるので精いっぱいだからカイトがなんとかしろ、らしい。お前が引き起こした事態のくせに。そのくせ世話の焼ける男だのなんだのと言い始めます。ミサの魔法でこの事態は切り抜けるのですが、もう私の彼女への評価は最悪です。ツンデレを作ろうとして人間の皮をかぶった出来損ないが完成してしまった感じです。そんななか最後の壁が現れます、読者にとって。

なんとか窮地を抜けたミサとカイトは次のようなやりとりをします。

 

 

ミサはオレの手を掴んだままため息を零す。

「やっと掴んだわよ。邪薩が入ったけど、まあいいわ……」

 やれやれという感じで、ミサは瞼を閉じで肩を疎めて首を横に振る。

 

 オレはミサに親指を突き出した。

「オレはミサを信じてたぜ。一時は諦めたけどな」

 歯を見せて、オレはミサに笑いかける。

 

 

もう勘弁してくれ、結局信じてたのか信じてなかったのかどっちなんだ。もうこの際誤字なんてどうでもよくなってきます。さらにこれに続くように

 

 

ミサは顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにオレから顔を背けた。

「べ、別にっ。ま、まあ、幼馴染だし? ネロに言われたし? それにしても、危機一髪だったわね」

 ミサはオレから顔を背けたまま、額の汗を手の甲で拭う。

 

ツンデレ属性なのでこういうとき本音は言わないはずなので「ネロに言われた」は理由ではないのか、そもそもカイトには興味がない設定なのだからこんなセリフを言わせなくてもいいのではないだろうか。いや、ツンデレ属性ならネロに素直に求愛できないのでないか、、、、訳が分からないのですがここでひとつ思いつきました。以上の言動から、もしミサがツンデレ属性ならば彼女は本当はカイトのことが好きだったが、小学生男子のような心理で好きな人にあえて意地悪をしてしまう子で、その行動の結果を想定できないとんでもない間抜けであるか、そうでなく彼女がツンデレ属性でなければ、好きな人に言われないと幼馴染の命すら助けない冷徹でかつ行動がどっちつかずの間抜けか。ということになります。

ここまででかなりのボリュームになりましたが5話はまだ続きます。どうやらミサとネロのデートの待ち合わせ場にカイトが凸して二人を森に連れてきたそうです。ネロはデートだという意識がなくカイトに待ち合わせ場所を言ったのだとか。ネロはミサのことを異性として見ていないことをカイトは知っていますが、彼女に言い出せないでいました。ホバーボートに乗り、デートが台無しになって浮かない彼女を見て、カイトは恋に協力しようと思ったとき、ミサの魔力が枯渇して落下し始めます。因みにミサはこのホバーボートをネロと呼んでいるという気色悪い事実が明かされます。彼女への好感度下がりっぱなしです。気絶したミサとホバーボートとかかえて落下していくカイトは川に飛び込もうとしてこの話は終わります。

まとめ

疲れました。

次回はこちら

ゾット帝国あらすじ&感想その3

前回はこちら

第3話「ミサ登場」を読んでいきます。この記事を書く前に俗にクソラノベ、クソ映画と呼ばれる作品たちのレビューを結構な数読んだり視聴したりしてきました。原作を見ていないのではっきりとは言えませんが、ゾット帝国ってそこで紹介されていた作品たちよりはかなり出来がいいのではないでしょうか。まだ序盤ですがそこまでよみにくくもないし、言い回しもおもしろいものがあるのですが.......。もし完結して校正されていたら書籍になっていたのかなあとか思いながら第3話の感想を書いています。

リンク、引用元はこちらhttps://ncode.syosetu.com/n1830fe/4/

「ミサ登場」のあらすじと感想

分かりやすいタイトルですね。これからの出来事をなんとなく想像できる簡潔でいいタイトルだと思います。メカニックな姿に変わった魔物たちに襲われるカイトとネロの頭上から幼馴染の少女ミサの詠唱の声が聞こえます。どうやらミサは魔法が使えるようです。大きなシャボン玉に包まれて無事上空へと避難することができました。このシャボン玉、本編ではジャンボシャボン玉と表現されるのですが、読みにくくないですかね?しかも当然のように代名詞がないので、ジャンボシャボン玉と何回も書かれます。因みに私は3回目までシャボンシャボン玉と呼んでました。このシャボン玉の中でバランスがとれないでいたカイトはバランスが取れてかつ景色を楽しむネロに対抗心を燃やすという11歳らしい姿を見せます。またこの間になぜ一向がこの禁断の森に来たのかが判明します。カイトの祖父が遺した冒険書によると、最期の冒険がこの禁断の森にあるとされるラウル古代遺跡。そこで祖父が見た世界を自ら見ようというものだそうです。カイトの首には彼の祖父がラウル古代遺跡で採取したクリスタルが下がっています。

このくだりが終わり、ミサが登場します。ごっついホバーボートに乗っていました。空中浮遊とかじゃないんですね。ミサの容姿が説明されますが、長いので読み飛ばしました。容姿は有志が描いてくれたものを見たことがあったためです。ミサはネロにぞっこんで、惜しげもなくアピールしまくります。カイト曰く、可愛いんだけど性格が最悪だそうなんですが、そう思われても仕方ないほどカイトには冷たい態度であたっています。

そんなとき地上から彼らを諦めていなかった魔物の攻撃を受けます。攻撃方法はミサイルランチャー。と、ここで3話終了です。ほどほどの長さで事が動きそうなところで終わるので悪くない区切りではあるかな、という感じです。

まとめ

正直はたしてsyamuさんが書いたのか怪しいくらいのレベルの文ですね。主人公が向き合う世界の壮大さを1,2行で表現した部分は称賛できます。それと、なろうとかって一人称視点のみで進むことが相当に多いんですね、知りませんでした。次は第4話「絶体絶命」を読みます。

次回

ゾット帝国あらすじ&感想その2

前書き

今回は第2話を読んでいきましょう。前回、一人称視点のみで物語が進むことに対して珍しいといった旨の感想を書きましたが、軽く他のなろう原作を読むと、そこまで珍妙なものでもないんですね。第2話「一難去ってまた一難」本編はこちらhttps://ncode.syosetu.com/n1830fe/3/

前回

次回

第2話のあらすじと感想

魔物に囲まれた主人公カイトは闘おうと友人のネロにもちかけますが、ネロは呆れ、水たまりを利用して感電させて乗り切ろうと提案します。そのために彼は銀色の小球を用いると言うのですが、読者もカイトもそれで感電する意味が分からないのでもちろん反対します。そこで

 

「「ボクを信じろ。それとも、カイトはボクを信じられないのか?」

 ネロが念を込めてオレの脇腹を小突き、ネロはカイトに意思表示する。」

 

と書かれるのですが、無理です。信じられません。私達読者はまだ彼らのことを何一つとして知らないからです。ネロとカイトがどれだけの仲なのかも、彼の実力の程も、これが最初の場面であるため情報がありません。もしかしたら前編で艱難辛苦を共に越えてきたのかもしれませんが、如何せん今作から入ったわたしには知る術もありませんでした。さらに信じることができなかった理由がもう一つ。このセリフの前に彼は「後のことは考えていない」と宣います。後のこと考えてないやつのことを信じるのは厳しいです。結局もちろんカイトはネロのことを信じてこの状況を乗り切ります。この小球はゾット帝国騎士団科学者であるネロの父親の発明品だったようです。事態が収まり、上空で待機している幼馴染の少女ミサのことも頭によぎり、この場を離れようとした二人でしたが、魔物の生き残りが黒焦げになった魔物の死体を食べ始めるのを目撃します。 

 

 「その魔物は、低く唸りながら足を踏み鳴らし、なんと姿を変え始めた。

 その魔物は皮膚が解けてメタリックの骨格が露わになる。足の爪がさらに鋭くなり、背中にキャノン砲が現れた。

 それぞれメタリックの骨格姿に変えた魔物の背中に様々な武器が現れる。

 ミサイルランチャー、ガトリング砲、ビームキャノン砲。」

 

 この展開結構面白いと感じました。これは想定していませんでした。こいつらに攻撃されてこの話はおわりです。次回が楽しみです。

まとめ

主人公カイトの心理描写などは相当うまく書けているのではないかなと思いました。なろうはもともと趣味で小説を書く場ですから、無粋な指摘は控えてゆるーくツッコむ感じで読もうとしていたのですが、その期待を裏切られるほどに想像するよりずっとよく表現されていました。これなろうのなかだとどれくらいのレベルなんでしょうか、そんなことも気になりました。

ver7.0.0時点のガノン使用感

1年前の記事で発売当初のガノンドロフの使用感を書きましたが、あれから環境と開拓が大きく変わったので2020年5月のver7.0.0での使用感を改めて書こうかなと思います。単刀直入に言うと、1年前よりもキャラランクは明らかに下がっています。早い段階でガノンの喰らい姿勢がナーフされたことと、それ以上に周りの下位、中堅、中堅上位キャラたちが強化を受けたことにより取り残されてしまった感があります。現時点での技感覚と今後の展望を記していきたいと思います。

技ランク

S: 空後

A: 空N DA 空上

B: 下強 弱 空下 上スマ 下スマ 下投げ

C: 横B 下B 前後上投げ 掴み 横スマ 空前

D: 上B NB

E: 上強

上位技のざっくり使用感

空後:回転率と吹っ飛ばしが相当優秀なメイン撃墜択です。外ベク変されなければ下投げから空後が確定します。50%程度でつかめば撃墜が狙えるのでオンラインやガノンを知らない相手には絶大な効果を発揮します。基本は撃墜%でジャンプや回避の先に置いておきます。

空N:立ち回りの主軸です。範囲と持続のおかげで様々な場面で活躍します。低%なら下投げ空N空Nで46%入りますが、キャラ限だったり外ベクでかわされたりと相手を選ぶのがキズです。それでも強い技には変わりなく、持続当てからDAや掴みが確定する状況があります。しかし上りであたらない、すっぽぬけから何も繋がらないなどの理由でランクが1つ落ちました。

DA:発生10Fにしてはめちゃくちゃ飛びます。さらに低%なら空Nや空上から繋がり、本当てから様々な技が確定します。また撃墜%でカス当てから空上、空後、空Nに繋がるのでどの%帯でも仕事をしてくれます。ネックなのはガノン本体の足が遅いため、10Fの発生でも意識されればなかなか当たらないことです。基本的には強い技で、展望もあります。

空上:難しいですが0%で空上着地からDAがつながり、良展開にもっていけます。さらにはガーキャン掴みで獲られません。復帰阻止やジャンプ読み、暴れで振るので空Nと似た使い方をします。しかし、なぜか発生と持続と範囲が前作から大幅に弱体化されてしまっています。

下強、弱:ガードされてからの不利Fが少ない地上での立ち回り技です。下強は前作から弱体化されており、ベクトルが悪いのでコンボにもならず、バーストもしにくくなりました。弱は発生、後隙ともに強化されました。

空下:対地であてると空後や上スマが確定します。リターンが高い分、発生が遅く、リスクも高めです。回避読みや横Bからの受け身先に当てて最大リターンを狙う形が多いと感じます。

上スマ:主に着地狩り、崖で振ります。ライン回復行動のほとんどの択を狩ることができるので、タイミングだけを意識して振れることが強みです。リターンも十分です。発生が遅いこととガノン本体に攻撃判定がないことには注意しましょう。

今後の展望

このキャラは技が素直な分、使い手としてはコンボ等で高い操作精度を求められることはあまりありません。代わりに純粋なスマブラ力を必要とします。相手のジャンプを読む、回避にリスクをつける、撃墜できる択をピンポイントで通す、といった力が不可欠です。また、その機動力のなさから、復帰と立ち回りはとくに意識しなければなりません。それでいて相手に圧をかけてビビらせることが大切です。そのためにはキャラ対策が重要になってきます。

一方キャラ性能の面では、現時点で安定して結果を出すことは難しいものがあります。最大の理由はその復帰力で、このゲームでもっとも大切なファクターです。空中移動と上Bの性能上横に飛ばされるとほぼ帰って来れません。上Bを受け身されてからの反撃があるので詰み状況になることが多いです。このキャラで安定して勝つには最低限そこが改善されないと厳しいと思います。他にも、空Nを対策すると他のすべての空中攻撃がケアできるなど、上のレベルでは小技がないこともネックになります。

まとめ

1年前に危惧した通りやはり厳しい環境になっていましたね。1年前とは技の使用感も結構変わっていますが、なにより周りの強化があまりに痛すぎます。ヨッシーやウルフのような純粋に殴り合うタイプの上位キャラとはまだまだ戦えるのですが、パルテナゼロサム等々......読み合いにすらならず結局は分からせられおじさんになってしまいます。(向こうの技性能もバグっているからですが)

ネガり気味になりましたが今回はこんなかんじで終わろうと思います。ただDAや復帰関連に調整がくれば、オンオフ問わずかなり面白いキャラになりそうなのも事実です。最後まで読んでいただきありがとうございました。